国際結婚の考察

◆極・私的「国際結婚」の考察◆
喧嘩なんていうものは後から振り返ってみれば、ほんの些細なキッカケから始まるものだということは、もうこの歳になったのだから分かっているつもりだ。
「衛星放送の使用料が支払われていない。このままでは供給を打ち切る」との連絡が女房の携帯に入ったらしい。
この使用料は、通常私のクレジットカードから引き落とされているが、今月はどうした訳か引き落とし出来なかったとのことだ。
(名誉のために言っておきますが、残高不足ではありません)
ジャカルタで生活している“外国人”は、当地の法律で、自分の名義では
「土地を所有することは出来ない」
だから当然、家を建てたり電気・電話を引いたり、その他もろもろ、家や生活に付随する必要な許可・申請関係などは、インドネシア国籍の「女房の名義」ということになる。
女房が、公式的にはこの屋の“主人”だから、
問題、揉め事、ご近所関係など、必要な連絡事は女房宛に入る。
「どうなっているのよー。あなた放送局に電話してよー」と、ここまでは私もまだ何とか我慢した。
「私、忙しいんだから・・・」で、“さすが”の私もプッツンきた。
時あたかも金融危機の真っ最中。
日々の資金繰りに頭を抱え、四苦八苦している事務所で受けた電話。
勘ぐれば、ダンナが会社で悪戦苦闘しているのに自宅でテレビの前に寝転び・・・
「確かにテレビが映らなくなれば、それは困るよねぇー」
だから、「俺だって忙しいんだよー」は当たり前だし、放送局との会話は当然インドネシア語なんだから「お前がしろよ・・」も、日本人の方ならご理解いただけると思うのだが・・・
これがその後10日間に及ぶ「冷戦」の始まりだった。(他愛無い話ですが・・・)
「国際結婚」というものは、したことのない人には分からないでしょうが・・・
“ロマンチック”な部分など、たぶん5%以下。
毎日が“民族紛争”的様相を呈していて、宗教・文化・風習の相違!
そして特に言葉・コミニケーション・ギャップは、超えがたいほどに広がっている。
「インド・パキスタン」、「イスラエル・パレスチナ」と、大袈裟な例えを出すまでも無く、この問題、今世紀の内に解決するとも思えない。
だいたいインドネシアの女性は(ここから先は、勿論女房に読まれたら困るのだが)
いや、女性に限らず男性も同様かもしれないが・・小さい頃から女中さん無しでは生きて行けない様にしつけられてきた。
貧しい農家の子沢山が、“口減らし”として、遠い親戚を頼ったり、エージェントを経由して都会に送った女中さんが多かったから、決して裕福な家庭だけの専用ではなく、ごく普通の家庭にも女中さんはいた。
余談になるが、我が家の娘たちを見ていても、脱いだ服は脱ぎっぱなし、食器は食べっぱなし、学校に行く時もカバンは女中さんが車まで運ぶ・・などなど。
散々注意をしてきたが、
「いるんだから使わなきゃ・・」的な感覚は抜けそうに無い。
お分かりいただけると思いますが、大人になってどこまで成長したか・・はなはだ疑問と言う訳で、自己主張はしっかりするが、しっかり“他人に頼る”ところが多分にある。面倒くさいこと、間違ったことは全部「あんたのせいよ・・・」で、怒り出す。
更に(これだけは本当に小さな声でしか言えませんが)宗教が絡んできたら、もうお手上げ状態になる。
イエス・キリストは女房の味方(ちなみに我が女房はカトリック教徒)。
「クリスマスの時くらいしか教会に行かないし。信仰心の希薄なあなたが間違っているに決まっているでしょー」
私と女房の日常会話は99%がインドネシア語。
私と娘たちは80%位が日本語
(英検2級までいった下の娘は、最近偉そうに英語で話しかけてくる・・「お父さん分かるぅー」)
女房と娘たちは、当然インドネシア語がメイン。
この家庭内の言葉の使用頻度というか配分からみても、我が家で一番えらいのが女房であるというのは、なにも国連の主要言語が英語・フランス語など戦勝国・大国の言語であるという例を引くまでもない。
喧嘩・言い争いになると、どうしてもこちらに“分”がない。
センシティブな言い回しが「喧嘩・論戦」では必要になってくるが、私のインドネシア語は会社・仕事を中心に覚えた「安いの、高いの・・・」という商売用の言葉だから、先が続かない。
最後にはせいぜい小さな声の日本語で“毒ずく”のが関の山。
結局「冷戦状態」の調停・終結に乗り出すのは、常に“大人”に成長している私ということになる。
北朝鮮問題を話し合う「六カ国協議」にも負けず劣らず、我が家の「父・母・娘の三カ国協議」も、皆が納得する妥結に至ることは稀で、結局“オフィシャル・ランゲージ”を駆使する母の独壇場ということになってしまう。
すごすごと引き下がった私と娘で、母親を「あの金正日の奥さんが・・・」と呼んだこともある。
かといって、私と娘たちの共同戦線が常に磐石であるわけではないのだが。
「国際結婚成功の秘訣は、女性の国籍側の国に住むこと」と、教えてくれたのは、私よりもかなり前にインドネシアの女性と結婚していた日本人の某先輩。
「男は朝飯が済めば会社に行く。日曜日はゴルフ。気が向けば“オネエチャン”のいる飲み屋だってある。それなりに外でストレス発散も出来るし。女性はそうも行かないから」と言う事だった。
確かに、女中さんの世話があって成長できたインドネシアの女性では、日本の“家制度”の中に放り込まれ、嫁・姑のしがらみをうまく捌いてゆくことなど、不可能に近い。
「男らつらいよ」・・・・
こうして、男の側が常に妥協し、我慢し、日々成長してゆくわけだ。
もう何年か前のことだが、インドネシアのテレビで、日本の「おしん」が放映された。
当地でも過去最高の視聴率を記録したという「おしん」
きっと当地の男性達は、自分の女房と比べた“理想の女性”をここに見出し、一方女性達は、「宇宙人の地球侵略的ストーリー」と勘違いしていたのかもしれない。
作家の村上春樹が、こんなことを書いていたのを思い出した。
確か「遠い太鼓」という本だったように記憶しているが・・・
「僕が結婚生活で学んだ人生の秘密はこういうことである。まだ知らない方はよく覚えておいてください。女性は怒りたいことがあるから怒るのではなくて、怒りたいから怒るのだ。そして怒りたい時にちゃんと怒らせておかないと、先にいってもっとひどいことになるのだ」
なるほど、そうだったのか。
だけど、村上春樹が言っているということは、なにもインドネシアの女性に限ったことではなく、普遍的な、全世界共通の概念なんだろうなぁー。


















