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バロンダンス

インドネシア伝統舞踊

バロンダンスレゴンダンスケチャックダンス
バリスダンス 他トペンチャロナン
マハバラータラーマーヤナ    


インドネシアの舞踊は、その国家を構成する民族の多様性を反映してます。

オーストロネシア民族舞踊とメラネシア民族舞踊の様式が見られるがインド中国中東などのアジア近隣諸国や植民地時代の西ヨーロッパの影響も見られる。
各民族には独特の舞踊があり、合計3,000種類以上を数える。
インドネシア舞踊の歴史は先史時代、ヒンドゥ・仏教時代、イスラム時代の三つの時代に区分され、宮廷舞踊と大衆舞踊の二つのジャンルがある。

インドのラーマーヤナマハーバーラタを題材にした伝統舞踊がタイバリの舞踊にも取り入れられている。
ジャワ舞踊にはスラカルタ王宮を中心に発展したものと一般大衆が独自に創作した舞踊がある。
(ウィキペディア参照)


バリ島の3大舞踊といえば、バロンダンス、ケチャダンス、レゴンダンスです。
ここでは もっともポピュラーな舞踊の1つであるバロンダンスをご紹介します。
《バロンダンス (Barong Dence) 》

 《チャロナラン(Calonarang)》  悪魔払いの儀式の1つであるチャロナラン劇がルーツです。
善と悪、生と死、聖と邪、といった相対立する概念を「バロン(聖獣)」と「ランダ (魔女)」という2つの終わりなき戦いがモチーフになっている。
両者の力のバランスで世界が保たれ  て、それがエネルギーの源であるということを表した踊りです。 トランス状態に入る場面もある。この神聖なチャロナランを観光化したものが、有名なバロンダンスです。

バロンは空想上の聖獣で、善の象徴。
ランダに対抗する魔力を持ち、善なる魔術の使い手である。正義の味方的存在。

魔女ランダ
は強力な魔術を駆使し 人々を苦しめる 悪の権化とされている。

サデワ王子は、バタリドルガという死神の生贄として捧げられる運命にありました。
サデワ王子の母親(女王)やサデワの国の首相は王子をとても愛していたので、生贄をとりやめようとします。
魔女はそれに気付き二人に呪いをかけてしまいました。

サデワ王子は死神の住んでいる家の前に縛り付けられました。
そんな王子を不憫に思ったシワ(シヴァ)神は王子を不死の身体にします。
しばらくすると死神が現れます。
死神は王子を見ると 生け贄の儀式にとりかかろうとしますが、サデワ王子が不死身の身体になっているのを知り、自分の敗北を認めます。
死神はサデワ王子に自分を殺してくれるように頼みます。そして天国へと行きました。

死神の第一の弟子カレカは、同じように天国へ行きたいと望み、サデワ王子に死神と同じように私を殺して下さいと頼みます。しかし 王子はそれを承知しません。
カレカは巨大な動物や鳥に変身して、サデワ王子と戦いますが、どうしても王子に勝つ事が出来ません。カレカは最後の力で悪魔の女王ランダに変身します。
魔女ランダにはかなわない王子は、真実の神「バロン」に変身します。ランダとバロンの力は同格のなでバロンは助けを求めます。

バロンの味方が現れて、ランダと戦います。
しかしランダの魔法にかけられて、ランダに対する怒りをすべて自分たちに向けてしまいます。
バロンはこれを見て、ランダのかけた魔法を取り除きますが、二人の戦いは決着がつかず、永遠に続いていくのです。

バリスダンス、ペンデット、タルナ・ジャヤ

インドネシア伝統舞踊

バロンダンスレゴンダンスケチャックダンス
バリスダンス 他トペンチャロナン
マハバラータラーマーヤナ    


インドネシアの舞踊は、その国家を構成する民族の多様性を反映してます。

バリの舞踊は神々への供物として発達し来ました。


バリ島の3大舞踊といえば、バロンダンス、ケチャダンス、レゴンダンスですが、他にもいろいろと見応えのあるダンスがあるんですょ たとえばバリスダンス
《バリスダンス (Baris Dence) 》

一言でバリスといっても 解釈の違いなどによりいろんな種類があります。
バリスは戦士の舞いと一般的には言われています。バリスとは“隊列”の意味で、
寺院の祭礼で男性の集団によって踊られる奉納舞踊でもあります。

バリスにはバロンやラーマヤーナ などの様に物語はありませんが、戦場へ向かう男たちの気迫を表現するエネルギーに満ちた踊りが荘厳であり、男性のバリ・ダンスの中では最も難しい踊りといわれています

                    《ペンデット(Pendet)》

すべてのダンスの最初に見せる歓迎の踊りです。
メインの前の前座のようなものです。

花を盛ったボコール(Bokor)を右手に持ち、歓迎の気持ちを込めて踊ります。 同じ名前のペンデットでも、 プリアタン・スタイルとバドゥン・スタイルでは踊りも曲も違い、バドゥンの方は延々と、ゆっくりとした曲調で進みます。

ペンデットは簡単な振り付けで短時間で終わります。
少女たちが華麗な衣装を着けて舞い、最後に花びらを投げます。

《タルナ・ジャヤ》

比較的新しい創作舞踊で、男装した女性が踊る事が多い。
特にストーリーはないのですが、若さをイメージさせ、喜怒哀楽を表現した機敏な動きがみごたえあります。

タルナは「若者」、ジャヤは「勝利」を意味します。

トペン(Topen)

インドネシア伝統舞踊

バロンダンスレゴンダンスケチャックダンス
バリスダンス 他トペンチャロナン
マハバラータラーマーヤナ    


インドネシアの舞踊は、その国家を構成する民族の多様性を反映してます。

オーストロネシア民族舞踊とメラネシア民族舞踊の様式が見られるがインド中国中東などのアジア近隣諸国や植民地時代の西ヨーロッパの影響も見られる。
各民族には独特の舞踊があり、合計3,000種類以上を数える。
インドネシア舞踊の歴史は先史時代、ヒンドゥ・仏教時代、イスラム時代の三つの時代に区分され、宮廷舞踊と大衆舞踊の二つのジャンルがある。

インドのラーマーヤナマハーバーラタを題材にした伝統舞踊がタイバリの舞踊にも取り入れられている。
ジャワ舞踊にはスラカルタ王宮を中心に発展したものと一般大衆が独自に創作した舞踊がある。
(ウィキペディア参照)

《トペンダンス (Topeng Dence) 》

トペン(Topeng)は“顔に押し付けられたもの”つまり仮面を意味します。
一般的には仮面をかぶって踊る舞踊をトペンダンスと呼んでいます。
この仮面劇は2〜5人の踊り手が30〜40種類あるというトペンを付けていろいろな役柄を演じます。

オダラン(寺院の創立記念祭)のときに演じられるものは“トペン・パジェガン”といい、1人の踊り手がいくつかの仮面を付け替えながら演じるダンスです。
17世紀から18世紀のゲルゲル王朝時代に作られた舞踊で話はバリの歴史物語やジャワの昔話から題材を得ています。

内容は大げさで滑稽な物が多く、笑い好きのバリニーズの間ではとても人気があります。

仮面はその表情によってマニス(優しい面)とクラス(怒り面)に大別されます。

チャロナラン

インドネシア伝統舞踊

バロンダンスレゴンダンスケチャックダンス
バリスダンス 他トペンチャロナン
マハバラータラーマーヤナ    

インドネシアの舞踊は、その国家を構成する民族の多様性を反映してます。


インドネシアのエンターテイメント(インドネシア舞踊)を鑑賞する際、その物語を知っていると
一段とおもしろくなります。

ここではチャロナン舞踏劇の物語をご紹介します。

アイルランガ王を敵にしたチャロナランは、最後には恐ろしい魔女(ランダ)に
なってしまいましたが、自分の娘の事などはどうでもいいという心の底までの魔女ではなかったようです。
チャロナランはバリ島では舞踊劇やワヤンとなって有名ですが、恐ろしい面だけが強調されています。本来、インドネシアには、悪いだけの人間とか、いい人で優しいだけの人間などこの世にはいない、つまりどんなに悪い人間でも、心のどこかに良い面や優しい面を持ち、
どんなに良い人間でも、心のどこかに良くない面や恐ろしい面をもっている 
という考え方があります。

《チャロナラン  (Calonarang ) 》

ダハの都にバラダという徳の高い坊さんがいました。
彼は激しい苦行の末、この世で最強の超能力を持つようになり、国王をはじめ一般の人々
鳥や獣にいたるまで その徳を慕っていました。

バラダには一人娘のウエダワティがいました。
病死で妻が亡くなった後、バラダは再婚し、男の子が生まれました。
性格のよくない義母はウエダワテイを叱ってばかりです。
バラダは娘の悲しむ様子をみて母の墓近くに家を建ててウエダワティを住まわせます。
そしてバラダは苦行をかさねるのでした。

ちょうどそのころ、ギラと言うの名の村にチャロナランという未亡人とその娘が暮らしていました。
娘の名前はラトナ・マンガリといい たいそう美しい人でした。
チャロナランもまた、苦行をかさね、超能力を持ち大勢の女性の弟子たちがいました。
チャロナランは年頃になった娘が求婚される事がないのを不審に思い、次第に無視されていると感じるようになります。

そこで大きな墓地に行き、バガワティ女神に
 「私の美しい娘を無視し続けるダハの都の住民がにくい。伝染病の毒をふりまき、彼らを全滅させたい」と訴えました。
チャロナランが祈りの本を読み続けることで 3晩つづけて、ダハの都に伝染病のばい菌がばらまかれたのです。
伝染病にかかった人はすごい高い熱をだして、1日二日のうちに死んでいきました。
その報告を受けた国王は、チャロナランを殺す為の軍隊を集めますが、失敗します。
それどころか彼女の気付かれ徹底的にやっけられました。
一方、攻撃されて黙っていないチャロナランは、風のようにダハの都にのりこみ、都を死の匂いでいっぱいにします。
この有様をみた国王 アイルランガは、バラダのもとに助けを求め使いをだします。

バラダは弟子のバフラをチャロナランのもとに行かせ、そしてバラダの支持により 娘のラトナと結婚したいと申し出ます。
チャロナランは大喜びで盛大な結婚式をあげて、二人を祝福しました。
この時ばかりは世の優しい母親たちとなんら変わりありません。表情は和やかになりました。

バフラとラトナの新婚生活は楽しく幸せいっぱいでした。
しかし 夕がた近くなると必ずどこかへいくチャロナランを不審に思い妻に聞きます。
ラトナは「ダハの人々を信用していない 母はまた攻撃されるような事があったら、ダハの人々を皆殺しにしようと 日中は魔法の本を読み、夜は墓地でお祈りをしています」といいました。
そこで、バフラはナトラにその本を持って来させます。
がバフラには何が書いてあるのか理解できません。
そこでバフラはその本をもってバラダのもとに急ぎます。

バラダはその本を読み、「良い心で読めば世の安全を約束する素晴らしい本ですが、よくない心で読めば、この世をぶち壊す恐ろしい本になる」といいバフラに元の場所に戻すように言いました。
翌日、バラダ自身がチャロナランはに会う事にしました。

チャロナラの所へ行く途中、あちらこちらに死体が散らばっているのを目にします。
チャロナランのはバラダが来た事で自分の命もこれまでと悟ります。
しかし、これまでの罪を許し、新しい人生へと導いてほしいと願うのでした。
バラダは超能力を悪い方にしか使う事が出来なかったチャロナランを哀れみます。
しかしあまりにもひどい罪を犯したチャロナランはやはり許す事が出来ません。

チャロナランはバフラの心を読み、勝てるはずもない戦いを挑みます。
全身から火を噴き攻撃しますが、バラダはかすり傷ひとつうけることはありませんでした。

「そなたに新しい命を与えることは簡単だが、そなたが犯した罪はあまりにも重すぎる。どうやら、そなたの寿命がつきたようだ。チャロナラン」そういったかと思うと、バラダはつよい苦行の構えにはいり呪文を唱え始めました。
彼女の身体は徐々に冷たくなっていきます。
チャロナランは最後の息を引き取ろうとして、バラダに感謝の言葉を捧げます。
「バラダよ。あなたは私に天界でのすみかを用意してくれました。私の目にはそれが見えます。
生き返る事ができるのですね。おお、その時は心を入れ替え、この世の安全に全力をつくしましょう」

そう言ったかと思うと、チャロナランの息は絶えました。
バラダはその死体を丁寧に火葬したのでした。

(参考にした本)

悲しい魔女 インドネシアの物語

ケチャックダンス

インドネシア伝統舞踊

バロンダンスレゴンダンスケチャックダンス
バリスダンス 他トペンチャロナン
マハバラータラーマーヤナ    

インドネシアの舞踊は、その国家を構成する民族の多様性を反映してます。

バリ島の祭礼や儀礼には、必ず舞踊が伴う。今日では、舞踊芸術のケチャレゴンバロン・ダンス、憑依舞踊のサンヒャン・ドゥダリがよく知られている。これらは、元来は共同体の宗教儀礼として行なわれてきたものであるが、実際に観光客に見せているのは、共同体の祭祀からは切り離され観光用に仕組まれたレパートリーである。すなわち、オランダ植民統治時代に当時の中心地シガラジャクビヤールと呼ばれる舞踊・音楽・ガムラン編成が生まれており、そして、1920年代後半に観光客を運ぶ運転手を通じて瞬く間に南部にも広がり、観光のための創作活動が盛んになり、舞踊芸術が宗教的文脈から切り離されていったのである。
(ウィキペディア参照)


バリ島の3大舞踊といえば、バロンダンス、ケチャダンス、レゴンダンスです。
ここでは もっともポピュラーな舞踊の1つであるケチャックダンスをご紹介します。

ヒンドゥ―教の聖典である古代インドの二大叙事詩「ラーマーヤナ」(紀元2世紀に成立されたと言われてる)から題材をとり、現在ではおもに観光客向けに行われています。
《ケチャックダンス (Kecak Dence) 》

ラマヤーナ物語を題材とする舞踊劇の中で演じられるもので、上半身裸に腰布を着けた数十人から多い時は200人ちかい男たちが、松明を囲んで、猿の鳴き声を模倣したチャッ・チャッ・とかチョッ・チョッ・チョッなどの音で、込み入ったリズムの大合唱とともに両手を挙げて震わせる身ぶりをするものです。
原始的なサルの泣き声に似ているため別名「モンキー・ダンス」と呼ばれています。

もともとは 神のお告げを聞く儀式の憑依舞踊「サン・ヒャン ドウダリ」(疫病蔓延などの折に、初潮前の女童を媒体として祖先の霊を招き、加護と助言を求めるもの)に伴う男性コーラスでしたが、これを観光用にアレンジしたものです。

ラーマ王子は、アヨーディア王国の王子で王位継承者だった。
ある日、王子は父王が継母と継母の子を王にすると約束していた事を知る。
王の苦悩を知ったラーマは妻のシ-タと弟のラクサマナを従い王宮を去り、ダンダカの森に入った。
ダシャラタ王は、悲観にくれ、病の床につき亡くなってしまいます。

3人は森で苦行者を悩ます猛獣や悪魔を退治したりして暮らしていました。
そこにシータを見初め奪おうとする悪の大王ラワナが、いろいろと姿形を替え登場します。

そして悪の大王ラワナに捕らわれ、連れ去られてしまいます。
捕らわれのシ-タのもとに猿の王ハマノンが現れる。
シタは助けて欲しいという王子へのメッセージをハマノンに託す。

スグリワと猿軍を従えたラーマはラワナ軍と戦い、ついに勝利を勝ち取り、無事シ-タと再会しました。

詳しくは:ラーマーヤナを

マハバラータ

インドネシア伝統舞踊

バロンダンスレゴンダンスケチャックダンス
バリスダンス 他トペンチャロナン
マハバラータラーマーヤナ    


インドネシアの舞踊は、その国家を構成する民族の多様性を反映してます。

マハーバーラタ』は、古代インドの宗教的、哲学的、神話的叙事詩ヒンドゥー教の聖典のうちでも重視されるものの1つであり、また世界3大叙事詩の1つとされる。『ラーマーヤナ』と並ぶインド2大叙事詩の1つでもある。

パーンダヴァ王家とカウラヴァ王家の間に起った同族間戦争を主題とし、さらに様々な伝承やヒンドゥー教の説話、詩などが付け加えられて、グプタ朝ごろに成立したと見なされている。伝統的には作中人物の1人でもあるヴィヤーサの作と見なされているが、実際の作者は不明である。

原本はサンスクリットで書かれ、全18巻、100,000詩節、200,000行を超えるとされる。これは聖書の4倍の長さに相当する。

(ウィキペディア参照)
《マハバラータ (Mahabharata ) 》

「マハバラータ」の物語は、紀元前4世紀から紀元後4世紀にかけて作られた、バラタ族の戦いの物語ですが、インドネシアでは10世紀末、ダルマワンサ王の命令で古代ジャワ語への翻訳がなされたものですが、その後、お話はいろいろとインドネシア流にアレンジされてきました。ここではもっとも原典に近いと言われるあらすじを紹介します。

“古の覇王・バラタ王の子孫でクル族の王シャーンタヌは漁師の娘サティヤヴァティーを妻にする。
二人の間には二人の王子が生まれる。

ほどなくシャーンタヌ王は死去する。シャーンタヌのこの二人の王子も、共に後継ぎを残すことなく夭折する。サティヤヴァティーは、サティヤヴァティーの結婚前の子、聖仙ヴィヤーサが王子の妃たちに子を授けることになる。
これが
、デシタラタとその弟・パンドゥという二人の王子です。

兄のドリタラーシュトラは生まれつき盲目だったので弟のバンドゥが王位に就きました。
パンドゥは妻と交わると死ぬという呪いをかけられ、2人の妻はそれぞれ別の神と交わり、5人の王子
ユディシュティラ、ビーマ、アルジュナ、ナクラ、サハデーヴァをもうけ、パーンダヴァと呼ばれましたが、王は呪いを忘れて妻と交わり死んでしまいました。

そこで兄のドリタラーシュートラが王位に就き、5人兄弟はドリタラに引き取られ、ドリタラーの100人の王子と共に育てられます。
しかしパンドゥ5王子がすべての学問や武術に卓越していたので、しだいにカウラヴァ100王子との仲は険悪になります。
五王子と百王子の対立はユディシュティラと百王子の長男ドゥルヨーダナの間でのハースティナプラの王位継承権争いによって決定的となる。これを案じたビーシュマの建言で王国は分割され、ドリタラーシュトラと百王子はハースティナプラを、ユディシュティラは辺境の地インドラプラスタを支配する。


インドラプラスタは繁栄を極め、ユディシュティラは帝王即位式を挙行する。
絶世の美女ドラウパディーもまた五王子共通の妻となっていた。
ドゥルヨーダナは嫉妬に苛まれる。
そこで母方の叔父シャクニの入れ知恵でユディシュテイラをサイコロ勝負に誘い、シャクニの手で五王子から王国、五王子自身、妻ドラウパディーに至るまですべてを巻き上げてしまいます。
老王の温情により、召使いになる事をまぬがれましたが、五王子は
13年間追放生活を送ることになります。
12年を森で過ごし、13年目は百王子方に居場所を知られずに過ごさなければならなかった。
もしこの1年間に見つかってしまえば、再び
12年間森で暮らさなければならなかった。


十三年目に五王子はマツヤ国の王のところに素性を隠し、召使いとして隠れていましたが、たまたま
カウラヴァはトリガルタ国とマツヤ国に侵入し、略奪をはたらいたので、戦争を始めます。
激戦の末これを破りました。
追放の
13年をなんとか乗り切り、百王子側に王国(インドラプラスタ)の返還を要求するが、ドゥルヨーダナはこれを拒否。両陣営の対決は避けられないものとなって行く。
かくてハースティナプラ近郊クルクシェートラの地に、両陣営の大群が集結する。



いよいよ大戦が始まろうという時、五王子最高の戦士アルジュナは、突如戦意を喪失する。敵方に恩ある人々の姿を見かけたからである。
パーンダヴァ五王子・カウラヴァ百王子共通の大伯父ビーシュマ、同じく両者共通の武術の師ドローナなどである。
二人とも心はむしろ五王子側にありながら、誓いや禄に縛られて百王子方に立って戦わなければならなくなっていた。


アルジュナの御者をつとめていた五王子の従兄弟クリシュナは、アルジュナに戦士の義務などを説き、戦意を回復させる。
いよいよ大戦は始まり、死闘が続く。百王子方最初の総司令官ビーシュマは、戦闘10日目にアルジュナに身体中に矢を突き立てられて倒れる。
ビーシュマの後を継いだドローナもクリシュナの献策により
15日目に倒される。
百王子方第三の総司令官カルナは、
17日目にアルジュナの武士道に反する矢に倒れる。

カルナはクンティーのパーンドゥとの結婚前の子で、アルジュナの実の兄だった。
運命のいたずらでカルナと五王子は敵味方に分かれて戦っていたのである。アルジュナはそれを知らなかったが、カルナは大戦直前にクンティーなどからこの恐るべき秘密を聞いていた。
カルナの心は乱れた。しかし、不遇の時代に自分に目をかけてくれたドゥルヨーダナへの忠誠心から、結局百王子方に立ってクルクシェートラに赴き、アルジュナに敗れ、士道に殉じたのである。五王子方でもアルジュナの最愛の息子アビマニユ、ビーマの息子ガトートカチャなど有力な武将達が倒された。

18日目、百王子方最後の総司令官シャリヤもユディシュティラに倒され、百王子方の総帥ドゥルヨーダナも五王子の次男ビーマとの棍棒戦に倒れる。かくして大戦はパーンダヴァ五王子側の勝利に終わった。

しかし、実は戦いはまだ終わっていなかった。父親を姦計で殺され復讐に燃えるドローナの息子アシュワッターマンが、数人の味方と共に五王子方の陣営に夜襲をかけたのである。
五王子方は外出していたクリシュナ、五王子など以外はほとんど全滅してしまう。
五王子の息子たちもすべて殺されてしまった。
カルナの死後、母クンティーからカルナが自分たちの実の兄であったことを知らされた衝撃もあり、五王子は自分達の勝利の味の苦さに打ちのめされた。

なんとか悲しみから立ち直ったユディシュティラは、弟たちと共に再び統合されたハースティナプラを統治する。
敵方であったにもかかわらず、百王子たちが全滅した後、五王子にかしずかれ静かに暮らしていたドリタラーシュトラとその妻ガーンダーリーも、やがて生への倦怠をおぼえ、世を捨てて森へ行く。五王子の母クンティーも二人に従った。
三人はしばらく修行の生活を送った後、山火事に巻き込まれこの世を去ります。。

ユディシュティラも王位をアルジュナの孫パリクシットに譲って身を退き、兄弟たちとドラウパディーと1匹の犬を連れて神々の国へ行くためにヒマラヤへ向かう。
妻と弟たちは次々に倒れるが、ユディシュティラはただ一人生き残り、生きたまま天界に上る。
そこで神々から最後の試練を課されるがもちこたえ、弟たち、ドラウパディー、カルナ、ビーシュマ、ドローナ、クリシュナなど懐かしい人々との再会を果たす。

「マハーバーラタ」 の中でも美しい愛の物語は

ナラ王物語(ダマヤンティー姫の数奇な生涯)【岩波文庫】

絶世の美女ダマヤンティー姫は婿選びの式でかねて恋こがれていた美貌の貴公子ナラ王を夫に選びます。
しかし、幸せの日々は短かった。
嫉妬に狂う魔人カリ王にとりつかれたナラ王は狂気のように賭け続け、ついには王国までも失ってしまいます。
カリ王にとりつかれたナラ王は正常な判断をする事が出来ず、自分がいてはダマヤンティー姫が幸せになれないと、森の中に姫を置き去りにして姿を消します。
しかし、いろいろな苦難を乗り越え、最後には再会を果たします。

参考図書:
インド神話入門(新潮社)
ナラ王物語(岩波文庫)
インドの神話(筑摩書房)

ラーマ−ヤナ

インドネシア伝統舞踊

バロンダンスレゴンダンスケチャックダンス
バリスダンス 他トペンチャロナン
マハバラータラーマーヤナ    

インドネシアの舞踊は、その国家を構成する民族の多様性を反映してます。

ラーマーヤナ』は、『マハーバーラタ』と並び称される古代インドの大長編叙事詩。全7巻。「ラーマ王行状記」の意味。サンスクリットで書かれており、その長さは48,000行に及ぶ。ヒンドゥー教の神話と、古代英雄であるコーサラ国ラーマ王子に関する伝説をまとめたもの。活躍する人物は全てクシャトリヤであり当時のクシャトリヤ勢力の台頭を反映している。詩人ヴァールミーキの作とされているが、実際には、紀元3世紀ごろに、多くの民間伝承を彼が編纂したものとされる。数多くの絵画、彫刻、建築、演劇、映画、ドラマ、音楽、舞踏などの題材とされており、インド、およびその文化を取り入れてきた東南アジア一円に深く浸透している。

(ウィキペディア参照)


インドネシアの舞踊に大きな影響を与えてきたヒンドゥ―教の2大叙事詩 「ラーマーヤナ」
「ラーマーヤナ」は多くのサイドストーリーをかかえながらも ラーマ王の冒険物語として十分まとまりのある構成になってます。
《ラ-マヤーナダンス (Ramayana Dence) 》

「ラマヤーナ」の原典は2世紀末頃にインドで作られたものですが、インドネシアには9世紀中ごろに伝わったもので、英雄「ラ-マ」の冒険物語りです。
あらすじはおうよそ次のようなものです。

“アヨディアを都とするコーサラ国のダシャラタ王は、世継ぎが生まれなかったため、馬祀祭を催し、王子誕生を祈願した。おりしも世界は強力な魔人ラーヴァナにくるしめられており、ヴィシュヌはラーヴァナ討伐のためダシャラタ王の王子として生まれることとなった。
成長したラーマはジャナカ王の娘 シータと出会い、結婚します。


ダジャラタ王は第1王子ラーマへの譲位を望んでいたが、ラマ王子に不満を抱く第2夫人は、ダシャラタ王にラーマをダンダカの森に追放し、バラタ王子の即位を願うように説得した(ダシャラタ王はカイケーイー妃にどんな願いでも2つまで叶えることを約束したことがあった)。
ラーマと妻シ-タ、弟ラクシュマナを森に追いやり、自分の子の次男バラタを王位につかせます。
ダシャラタ王は悲しみのあまり病の床につき絶命してしまった。


ダンダカの森に住むラーマたちは、苦行者たちを悩ます猛獣や悪魔を退治して暮らしていました。
森の中でラクササの魔王ラーヴァナに見初められたシ-タは、金色の鹿に変身したラーヴァナの部下がラマ兄弟をおびき出す間に、魔王の国ランカ島(今のスリランカ)に連れ去られてしまいます。

ラーマはリシュヤムーカ山を訪れて、サルの王族のスグリーヴァと親交を結んだ。
ラーマは王国を追われたスグリーヴァのために猿王ヴァーリンを倒した。
スグリーヴァはラーマの恩に報いるため、各地の猿を召集し、全世界にシーターの捜索隊を派遣した。その中で、南に向かったアンガダ、ハヌマットの1隊はサンパーティからシーターの居場所が南海中のランカ(島のこと。セイロン島とされる)であることを教わる。

風神ヴァーユの子であるハヌマットは、海岸から跳躍してランカに渡り、シーターを発見する。
シータは我が身の不運を嘆き、死のうとしていました。
ハヌマットは自分がラーマの使者である証を見せ、やがてラーマが猿の軍勢を率いて救出にやってくるであろうと告げた。ハヌマットはラーヴァナらに発見され、インドラジットに捕らえられたが、尻尾に火をつけられたハヌマンはランカの街を焼いて帰還します。

ランカではヴィビーシャナがシーターを返還するよう主張したが聞き入られなかったため、ラーマ軍に投降した。
ここにラーマとラーヴァナとの間に大戦争が起きた。
猿軍はインドラジットによって大きな被害を受けながらも次第にラークシャサ軍を圧倒していき、インドラジットが倒された後、ラーヴァナもラーマによって討たれた。
ラーマはヴィビーシャナをランカーの王とします。
ラーマは、シーターを救い出す事が出来ましたが、長い間、魔王の宮殿にいた彼女の潔白を疑います。
シーラは身の潔白を証明しようと火の中に身を投じます。
しかし、彼女は炎に焼かれる事もなく、火神アグニがその潔白を証明したのでアヨーディヤに帰還しました。その後ラ-マは王位につき国はますます栄えた

ラーマの即位後、人々の間ではラーヴァナに捕らわれていたシーターの貞潔についての疑いが噂された。それを知ったシーマは苦しんで、ラーマのもとを去って森林に入ります。
シーターは聖者ヴァールミーキのもとで暮すこととなり、そこでラーマの2児 クシャとラヴァを生んだ。
後にラーマは、シーターに対して、シーター自身の貞潔の証明を申し入れた。
シーターは大地に向かって訴え、貞潔ならば大地が自分を受け入れるよう願った。
すると大地が割れて女神グラニーが現れ、 シーターの貞潔を認め、シーターは大地の中に消えていった。
ラーマは嘆き悲しんだが、その後、妃を迎えることなく王位を去って天界に登りました。

参考書籍:インド神話入門(新潮社)
       インドの神話(筑摩書房

レゴンダンス

インドネシア伝統舞踊

バロンダンスレゴンダンスケチャックダンス
バリスダンス 他トペンチャロナン
マハバラータラーマーヤナ    

インドネシアの舞踊は、その国家を構成する民族の多様性を反映してます。

オーストロネシア民族舞踊とメラネシア民族舞踊の様式が見られるがインド中国中東などのアジア近隣諸国や植民地時代の西ヨーロッパの影響も見られる。
各民族には独特の舞踊があり、合計3,000種類以上を数える。
インドネシア舞踊の歴史は先史時代、ヒンドゥ・仏教時代、イスラム時代の三つの時代に区分され、宮廷舞踊と大衆舞踊の二つのジャンルがある。

インドのラーマーヤナマハーバーラタを題材にした伝統舞踊がタイバリの舞踊にも取り入れられている。
ジャワ舞踊にはスラカルタ王宮を中心に発展したものと一般大衆が独自に創作した舞踊がある。
(ウィキペディア参照)


バリ島の3大舞踊といえば、バロンダンス、ケチャダンス、レゴンダンスです。
ここでは もっともポピュラーな舞踊の1つであるレゴンダンスをご紹介します。
《レゴンダンス (legong Dence) 》

 バリ舞踊の中でも最も知られているのが、このレゴンダンスではないでしょうか。

19世紀頃から宮廷で若い娘によって演じられる優美な宮廷舞踊。
バリ古典舞踊の動きを基本としています。
現在では12種類以上のレゴンダンスがあります。
伴奏音楽はプレゴンガンというガムラン音楽。
レゴンは天上の神々の娘の踊りと言われ、ダンスの華麗な衣装・デリケートな目の動き、手のひらや指先の美しい優雅な動きは人々を魅了して離しません

19世紀初頭に当時の領主スカワテ王が病気で昏睡状態にありました。
彼が昏睡状態に陥っている時に彼は女性的で繊細なダンスを踊る二人の美しいニンフを見ました
そして
付随音楽の音を聞いて彼は【天女の舞を見た】と感じます。
彼は健康を回復した後、村の芸術家たちと共に その 天女の舞を再現しようとしたのが始まりと言われてます。


黄金のトンボを追ううち森に迷い込んでしまったジャワ島ダハ王国の美しい姫ランサケリはラッサム王に助けられる。
一緒に過ごすうちに王女の美しさに惹かれ、
プロポーズするが、王女はすでに婚約者がいたため断られてしまう。

王女が自分のものにならないことに怒りと絶望を感じたラッサム王はダハ王国を侵略しようと考える。
そのとき神鳥ガルーダが現れ「あなたはこの戦いでは敗北し、死亡する」と予言され、一度はためらうが、最終的にガルーダの予言を聞かずに戦場に向かいます。
そして姫の恋人「バンジ王」との戦いに敗れ命を落としてしまいす。